むかしばなし

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映画「あの頃。」を観たハロヲタがあの頃を振り返る

映画「あの頃。」を観てきました。

phantom-film.com

 

もう開始早々から泣きっぱなしでした。

私事で恐縮ですが、今年の春でハロヲタ歴丸10年を迎えるこのタイミングで、この映画に出会えたことに感謝しかありません。

 

今回は映画「あの頃。」を観て振り返った「あの頃」を綴っていきたいと思います。

ネタバレを含みますので、以下、自己責任にてお願いします。

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アイドルの在り方を考察する

先日トレンドを賑わせたアイドルの熱愛報道。今年の春でハロヲタ歴丸10年になる私は、渦中の隅っこでまさか、まさかあの子が......という思いで焦心に駆られました。(リンク張りたくないので察してください)

※銀さんの年齢公開とそのお知らせが同日の夜だったので、私の心の中に史上最大瞬間風速を記録するほどの嵐が吹き荒れていました。あんな感情が上下しまくるトレンドはもう見たくない。

 

今回、ファンに限らず「アイドルの恋愛禁止」について様々な意見が飛び交っていました。「もうアイドルの恋愛禁止なんていらないんじゃないか」「そういう契約なんだから、ルールは守らなきゃダメ」「ファンは気にしないから辞めないで」など、どれも正しい気持ちだと思うし、昨今では結婚後もアイドル活動を続けるグループも出てきており、アイドルの恋愛禁止というルールについて見直す過渡期に来ているのかもしれません。

 

ただ私は、今回の処遇については正解だと思っています。

あの報道があった時、脱退以外の選択肢は思いつきませんでした。もちろん、こんな形で辞めてほしくない思いはありましたが、それ以外は想像出来ませんでした。

 

何故ならば、私はその言葉通り、アイドルとは「偶像」だと思っているからです。

今回はこのことについて、このタイミングで語っておきたいなと思います。

 

まず、アイドルの恋愛禁止に関してよく「いや、自分には恋愛感情はない」「親心に近い感情で応援している」となどといった意見が散見されますよね。

分かります、私も同じ思いです。

私の1推しは既に卒業してしまっており、芸能界も引退しているのですが、自分より6つも下の当時12歳だった女の子を応援したいと思う気持ちが恋愛感情なわけがない。今は13歳だった頃から応援していた7つ下の子を推してますし。

賛否はあれど、20年前より会って直接話すことの出来る機会も多くなりましたし、ブログやSNSなどを通じてより身近な人間味を感じられる存在になったことで、これまでアイドルを応援すること=疑似恋愛を楽しむという感覚よりは、今はある程度の分別を持って本人の成長を楽しんでいる人の方が多数になってきているのかなと。だからこそ、今回に限らずアイドルの恋愛禁止については様々な意見があるんだろうなと思います。(昔をそれほど知っているわけでもないですが)

 

ただ、本人たちのことを知る機会が増えたからといって、我々にはどう頑張ったってブログやSNS、ライブ、イベント、メディア、長机越しでの会話以外に受け取る術はありません。いつも何か越しに彼女たちを見守ることしか出来なくて、ましてやそこには検閲や指導が入っているだろうし、その言葉の真偽なんて分かりません。結局は受け取った側(ファン)が都合の良いように解釈し、考察することで無意識のうちに偶像を作っているもんなんです。今も昔も。

 

モーニング娘。'21の小田さくらちゃんが過去に何かのインタビューで「人間らしさはいらない。アイドルは常に完璧で、夢を与える存在でいないといけない。」というニュアンスのことを語っていましたが、この考え方が一番近いのではいでしょうか。

ここで言う「人間らしさはいらない」とは単に無機質なロボットのようであれということではなく、ファンの想像や思いを逸脱しない存在であることという意味だと思っています。

今回はそれを逸脱してしまった結果なのではないのかなと。(このご時世であることも踏まえて)

 

偶像はどれだけ人間らしく振舞ってみたところで、信仰している人の思いや解釈があってこその存在なんですよね、結局は。

 

特に今のハロプロはプラチナ期からの流れから、パフォーマンスに注力した実力主義で、ストイックに芸を磨く姿を一つの売りにしている部分があって、「普通の青春を捨ててでも、アイドルとして生きていくことを選んだこと」に魅力を持っているファンが割と多い印象んですよね。そういう楽曲もあるくらいだし。だから、恋愛のイメージって何よりもマイナスでしかないと思うんです。(正直、私は熱愛スキャンダルあった子の『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』なんか絶対聴けない)

 

単純に「アイドルの恋愛なんてもう許してあげなよ」「20歳以上の女の子はもう許してやれよ」で済む話ではなくてファンと一緒に作り上げてきた偶像が著しく壊れるようなことをしてはいけないのではないかなと。恋愛だけじゃなく。

 

少し前の太田遥香ちゃんや小片リサちゃんの件もそうです。

未だに尾形春水ちゃんの活動を受け入れられない層が一定数いるのも、彼女に対してやハロプロに対しての偶像があって、それを逸脱してしまっているからだと思います。

 

 

推していた方々にとってはこんな形で活動が終了してしまうのは無念でしかないと思いますし、それが自分の推しだったらなんて想像するだけで胸が締め付けられます。

でも私のような部外者がいくらアレコレ書こうとも、これまで彼女とファンが作り上げてきた思い出はどれも本物だし、これからもずっと光り輝いていくものだと思います。

 

だからこそ、活動終了以外の決断はなかったと思います。幼いころからアイドルであり続けた彼女の中でも。

 

色々綴りましたが、ハロメンには皆等しくドレスを身に纏って、メンバーカラーで埋まった会場で幸せなフィナーレを迎えて欲しいです。

けれど、今のところは彼女の歌をもう一度聴ける時まで、私は変わらずにハロヲタで在り続けたいと思います。タピオカミルクティーでも飲みながら。

 

 

「劇場版銀魂 完結篇 万事屋よ永遠なれ」に隠されていた(?)、後に語られる原作との類似点

絶賛公開中の「劇場版銀魂 THE FINAL」を観て、久しぶりに銀魂熱が再燃してしまい、そろそろ映画館のスタッフに顔を覚えられているのではないかと戦々恐々する日々を送っているのですが、先日(汚い大人の策略に嵌って登録した)dTVで「劇場版銀魂 完結篇 万事屋よ永遠なれ」を見返したところ、公開後に原作で展開されたストーリーと同じようなエピソードが散りばめられていたのでは?と思い、いそいそと(数年前に作るだけ作ってた)ブログを書いてみました。

 

まず「劇場版銀魂 完結篇 万事屋よ永遠なれ」(以下「完結篇」と記載)は、2013年に原作者・空知英秋先生の書下ろしネームを元に作成された、アニメ銀魂の劇場版第二弾となります。

この劇場版のために書き下ろされたオリジナルストーリーであるものの、原作の世界観を崩すことなく、むしろ原作の一部とも言える展開や演出が素晴らしい作品です。

※割とアニメオリジナルの劇場版って、原作の話の流れを無視せざるえないことが多い印象なんですけど、銀魂制作陣は本当に上手くやってんなぁと思います。

 

そんな完結篇ですが、前述しましたように、公開後の原作エピソードと酷似しているなと感じた点がいくつかありましたので、ご紹介していきたいと思います。

ここから先は(今作含む)映画及び原作のネタバレを含みますので、ご注意ください。

 

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